六月二十五日

うちの猫のはなし①

人生でいきものを飼った経験がないくせに、
二年ほど前に猫を迎えた。
保護猫、とか、猫を人生のパートナーに、とかそんな立派な気持ちではなく、ただただかわいすぎてペットショップから連れて帰ってしまった。
いきものと暮らすことに、一週間はずっと緊張していたし、猫を飼うことは、まだ作業だった。
たいして手はかからないし、毛むくじゃらのちいさいいきものが動き回っているのはみていて楽しかった。
ふわふわの毛は撫でると気持ちがよくて
ときどき鳴く声も、一生懸命ごはんを待つ姿もいじらしい。

わたしは引っ越しをした。
猫はトイレがわからなくなってしまった。
毎日毎日、違う場所にトイレ。
家中がトイレ。
日々が猫との格闘となった。
かわいいだけじゃなくて、おおきな悩み。
猫の気持ちを知るためにたくさん勉強したし、猫を褒めたり叱ったり、家には誰も呼べないし、せっかく借りたお家は散々。
愛情を伝えることより、自分のストレスが勝っていく。
どうしてなんで、ほかの猫はいいこなのに。
悲しくなる。

あまりにどうしようもない状況に、動物の行動学の先生を紹介され、カウンセリングをうけはじめた。
猫一匹と先生と、わたしの対談。
想像すると面白いだろう。
けれど大真面目に、カウンセリングははじまった。

猫をよく観察して、細かいデータから取り始める。
こんなふうに猫と向き合うなんて。
かわいいだけじゃなくて、もはや猫はわたしだった。
猫が不安そうなとき、わたしも不安定。
猫がイライラしているとき、わたしも疲れている。
猫が甘えているとき、わたしもリラックス。
みていてあげなければむくれて、
構いすぎると嫌がる。

どうやら猫は、わたしのようだ。

つづく

 

 

 

 

 

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