投稿日 二〇二一年九月二十一日
うちの猫の話②
うちのねこは神経質だ。わたしの勝手で引越しをしたから、環境に慣れず、いつも何かに怯え、音にびくびくし、のんびり寝ている姿なんてみせてくれずにいつも起きているような日々。
普通のねこがどんな日常をすごしているのかわたしにはわからない。抱っこもきらい、撫でられるのもいや、喋らないから何を考えているのかわからない。
ねこはいつもわたしの悩みの種となり、ふたりしてストレスを抱えていた。ねこは飼うのが簡単だなんて嘘だとおもった。飼い主に似る、と聞くけれど、たいそうわたしに似た問題児のねこ。
カウンセリングは続いた。わたしは、ねこがうまくできないことを、諦めた。うまくなんて出来なくて良い。ねこのいるちいさなちいさなこの世界で、少しでも安心して過ごしてほしいと心底願った。
半年ほどたち、コロナで家にいる時間が増えた。少しずつ、ねこが寝る姿をみるようになった。少しずつ、近くに寄ってくる時間が増えた。少しずつ、撫でても逃げなくなった。少しずつ、トイレもうまくできるようになった。ふわふわの毛むくじゃらと時間を過ごす日々。近くにいてくれると、安心した。かわいくてかわいくて、無意識にいつも話しかけている。ねこも近くにいると、お腹をみせるようになった。わたしのお腹の上で、ゴロゴロと喉を鳴らし、ふみふみをしたときやっと理解した。お互いさびしかったんだ。ごめんね。
このコロナ禍で時間をつくれたことに感謝する。走り続けたままだと、ねことはきっと通じ合えなかった。さびしさを埋められないまま、安心できぬまま、ちいさな世界でずっと怯えていただろう。
今どういう気持ちでいるかなんてわたしには知れない。ねこは、ねこの世界がある。お互いに自由を求め合いながら、かまってほしくて、認めてほしくて、切磋琢磨しながら日々を過ごしている。ちいさなこの子を守れるのはわたししかいない。そう思うと力がわく。
かあちゃんがんばる。このねこを一生養うのだ。
うちのこ、ヌ丨のお話。